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村田インターから車で10分ほどの道のりで,びっくりするほど雰囲気のある宿に着くことができます。途中,すれ違うのもドキドキするような道を行くと,宿の手前に駐車スペースがあり,そこから少し下っていったところにある宿が見えます。
宿に向かっていって右手がお風呂場・台所・宿の人たちの棟,左手がお風呂を入りにきた人たちが休んだり泊まったりする棟のようでした。日帰り入浴の受付は,右手奥のお風呂場手前にある売店のようなところで行います。廊下には,ここで取れたであろう野菜などが売られていました。お米も作っているようで,外から買うのは肉や魚だけとのこと。凄いですね。
お風呂は手前が女湯,奥が男湯になっています。どちらも同じくらいの大きさでしたが,どちらかといえば女湯の方がゆったりした印象を受けました。
お湯は無色透明,匂いもありません。肌ざわりは少しキュッキュキュッキュするような感じです。源泉の温度が低いため,循環加熱をしていますが,そんなにお湯の感じは損なわれていないのではないかと(勝手にですが)思いました。お湯は熱めなので,お湯に浸かっているところは,やがて赤く染まってきます。
循環のため,お湯の水位は低めになっていました。男湯の方でタイル3つ分くらい,女湯の方でタイル1つ分くらい縁のところから下がっています。湯船に注ぐ蛇口から水を足すことができるのですが,口に含んでみたときの感じから源泉なのではないかと思いました。ただ,25度という温度からすると冷たいかなぁ,とも思います。(シャワーは源泉かな?)
湯上りは肌がすべすべ。希望する人には容器込みで1500円,容器持込で500円で源泉を分けてくれるみたいですが,確かに効能はありそうです。
(男性用のお風呂)
(台形の形をした湯船です)
(ライオンの口からお湯が出ています
鉱泉のため加熱循環しているせいか,この日の水位は低めでした)
鎌倉温泉の歴史
源氏と平家の戦いを描いた「源平盛衰記」に鎌倉源五郎景政が,出羽金沢(秋田)で矢を受け負傷したという記述があるが,これと同じような言い伝えが ここ蔵王町にもある。
前九年の役で,康平5年(1062年)源の頼義は勅命により,奥州の安部兄弟を征伐した。
この戦いで先陣をきって奮戦したのが,鎌倉源五郎景政である。景政は不運にも,鳥海三郎の射た矢を目に受け,重傷を負った。
戦いが終わって景政,当時この地方の大集落となっていた平沢で傷の療養をしていると,ある夜,羽山(出羽3山)の神女が夢の中に現れ,沢の上流に温湯があることを伝えた。
景政が不思議に思いながらも探してみたところ,ぬるい湯が湧き出ているのを発見した。この湯につかると,景政の傷はたちまち全快したという。
以来,この湯は景政の姓をとって“鎌倉沢”と呼ばれ,傷に効く名湯として近所の住民の湯治場となった。
(宿の看板より抜粋)
【宿の情報】
蔵王町 鎌倉温泉
宮城県刈田郡蔵王町大字平沢字鎌倉沢102
男女別内湯
冷鉱泉 低張性アルカリ性冷鉱泉 [源泉名/鎌倉温泉]
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